北条氏と後北条氏の違い

中世について論じます。日本の中世です。主に戦国時代を書きます。

日本史の中世はまさに武士の時代ともいえます。

いちおう鎌倉時代から戦国時代までを書かせていただきます。

平安時代院政期と江戸幕府豊臣氏を滅ぼすまでを含みます。

なのでご了承ください。研究者によって幅があるので。

鎌倉時代はほぼ執権北条氏の時代です。

北条早雲がたてて北条氏康が最盛期で北条氏政で終わった北条氏とは違います。

区別して鎌倉北条氏もしくは後北条氏と呼びますのでよろしくお願いします。

せっかくですのでどこが違うか申し上げます。

鎌倉北条は源頼朝に従って鎌倉幕府を乗っ取った北条氏です。

まさに平安時代から南北朝時代まで歴史書に書かれています。

メジャーなのは。

北条時政北条義時北条泰時北条時頼北条時宗北条貞時、北条高塒が有名です。

他に有名なのは尼将軍と呼ばれた北条政子でしょう。

モンゴルが攻めてきた元寇北条時宗が執権の時です

後北条氏北条早雲が始祖です。

北条早雲は厳密にいうと伊勢早瑞といいます。

足利幕府の役人で伊勢氏の出身です。

戦国時代で駿河の今川氏の内紛を仲裁して今川氏から独立しました。

もちろん今川氏との友好関係は続いています。

伊豆と相模を平定して孫の氏康のときに関東をほぼ支配しました。

しかし氏康の息子の氏政とその息子の氏政の時に豊臣秀吉小田原征伐に遭って滅亡しています。

以上の比較となります。

納得いただけましたでしょうか。

それでもわかりにくいならば山川出版社の日本史の教科書と用語集で調べてみれください。

よろしくお願いします。今回はここまでです!